何かを身に着けようとすると何も身につかない。「役に立つかもしれないから」的な考え方でやっても、ほぼ身につかないし、やるだけ無駄な時間だと思わされることを繰り返して

  • 科学のこれがやばくて「科学的方法を施行すればなんでも解決すると思っている。」

 

例えば「英語を身に着けたい」ならば、コツを教えてもらって、映画などを見たりする。1週間位は続くがその後はぱったり。みたいなことね。他にも、「夜に単語帳を読み返して、寝る前の長期記憶にインプットする」これらもまずいよね。そういった「効用的なやり方」は長続きしない。

 

そもそも動機が弱すぎる。歯磨きなどは普段からやっているからいい。必要だからやっている。けど、学習などは言ってしまえば「必要ではない」から、やりたくなければやらないで済む。

 

  • 文章力もそうだけど、簡単にコツを読もうとするとおそらく続かない。いや、コツを今でも調べようとしないのはだめだけど、新たなことを学ぼうとしてはいないけど、簡単にコツを実行してしまうとそれで終わってしまう。

 

  • 試行錯誤も自分にはあっていないよね。「まずは自分で自由に書くことから」これからなんだよね。

 

まあ、学生のときは寝る前に単語帳を見るのはいいかもね。まだ、必要性があるから。けど、おとなになってから「身につけたほうがいいから」とかで夜に単語帳を見ても続かないんだよね。

 

  • 最大限の動機は「必要性」なんだよね。英語なんて「必要性」でやっている。けど、コミュニケーションなどで必要性がないとやらなくなるよね。だから、今になって必要性が出てきている。

結局やることは変わらない。

 

英語、投資の勉強など。

 

まあ、実際には1ヶ月で身につくものでもないからこそ、全力を尽くして「ある程度のレベルにまで行きたい。」簡単な読み書きや話せるレベルになると後はそこからは、ニュースを見たり映画を見たり趣味的な自然学習でもどんどん上がっていくから。何を言ったり書いているかがある程度わかるから、わからないところだけをピンポイントで調べればいい。単語でも何を言っているかはわかるけど、見慣れない単語ならそれを覚えるだけでいい。

 

  • まあ、「必要性にもレベルがある」がこれも、身近であるかどうかだろうな。身近に起これば起こるほど必要性が増す。

 

  • 基本的には継続性

けど、「興味・探究心」は永続性があるが、どうもブレが出てくるね。やらなくなれば、全くやらなくなる。